2015年4月30日木曜日

春のリクレーション 富田林寺内町

本日 4月29日は、なごみ会の皆様25名で 富田林寺内町へいってまいりました。
この町は 1560 年興正寺16世証秀上人が富田の荒れ地役2万坪を買い取り富田林と名付けた場所です。近隣4か村から庄屋株8人衆に御坊や建設町割りなどまかせ、作られた町です。

東西400M 南北350Mの楕円形の町です。町の周囲は濠 竹やぶで囲まれ、その中6筋7町
の整然とした町割りされた寺内町まちです。

江戸時代にはいり幕府の直轄地に。宗教的自治都市から商業都市として栄えました。
作り酒屋 木綿問屋 油屋 材木商 染め物業なぞ、おおくの大きな店が軒を並べ
大和川や石川を往来した舟が活気ついていた事でしょう。

なかでも、旧杉山邸は昭和58年に国の重要文化財に指定されており、本日なごみ会の皆様と、充分に時間かけて、見学させていただきました。
庄屋8人衆の一人杉山長左衛門は作り酒屋として、成功して、著しい発展をとげ、現存する
母屋の建築年代は17世紀中期でもっとも古く多くの民家のなかでも、規模も大きく
質の良い商家の住宅として昭和58年12月に、重要文化財に指定され、現在は富田林市の管理となっています。

なごみ会の一同ボランテイヤのおじさま」の丁寧なご案内で、とっぷり昔昔の日本にとけ込み、現代っ子 これから大きく成人して行く過程に、日本の良き伝統、景色を守り、次の時代にも、忘れないで、富田林にこんな良い町あり、と伝えてほしいです。

適当な爽やかな疲れも、良い思いでとなりました。
交流館の向かえの丸なすかって、赤ね餅たべました。後は沢山の写真で、ご想像ください。














鬼瓦

旧杉山邸前で 2世一同

昭和の建物

杉山邸の台所
    


興正寺 前にて。




杉山邸

気持ちよく 遊ぶ 杉山邸にて

寺内町交流館前 昭和のポスト





















写真班の斉藤さんより以下3枚です

造り酒屋

興正寺 別院

以下小原さんよりの写真5枚です










2015年4月17日金曜日

菜種梅雨の朝

一週間のうち、唯一木曜日はリラックスできる日、ほとんど午後には
家族の元に帰り一 泊、何より歓迎してくれるのは、愛犬Boomerです。
毎日殆ど、留守番のBooは私の肩まで飛び上がり歓迎、その後しばらく
部屋を駆け回り喜んでくれます。
 最近雨がおおいですが、今朝もかっぱつけて、近くの公園へお散歩
お友達に会えるの楽しみな、Boo ,公園に集まってくるワンちゃんみんな
人の子以上に幸せな日々、ここで私には、世の中のおおくの不幸せな子供達をおもいます。
 

雨上がりの公園にて

ラッキーとブーとBoomer

Boomer6sai

2015年4月15日水曜日

再び利晶の杜へ

4月12日 さかいの利晶の杜で裏千家の茶室披きあると、お聞き致し、その日は一般180名にお茶会開催して下さるとの事、親友のM先生と下見がてら、お客にならせていただきました。3席目とのこと、待ち時間に、まず利休さんの屋敷跡の井戸のある敷地内へ、
昔から、井戸のみぽつんとあり、周囲も祖末なかんじの塀でしたが、このほど、利晶の杜のオープンに併せて、りっぱな屋根瓦付きの門と塀に囲まれ、中庭には利休さんの伝記を
掘られた、石碑建立されておりました。ボランティアガイドの方の説明で、此の度裏千家がこの地を買い取られたとお話くださいました。

この日は坐忘斎宗匠がお見えになられ、風露軒の除幕式に臨まれたようです。
私達はご一行さまが茶室より、おでましなさる時間にちょうど、お会いすること出来まして、大変光栄な良き時間帯に茶の湯館と晶子さん展示室回らせてもらいました。

近代的なガラス張りの建物のなかに、4-500百年前の利休さんのお姿よみがえられた貴重な
殿堂室です。これから何百年も伝えられるでありましょうこの館に、多くの人々が堺市の観光拠点として、栄えますように。

私の教室も秋には、お茶室お借りして皆で力併せて、35周年の記念セレモニーを成功させたいです。



久々に娘の演奏姿見て

27年前に天国に見送った父は長い警察官生活終え その後自宅で詩吟教室ひらいておりました。さびの効いた父の声を効きながら、私はお茶の稽古に励みました。私を茶道の指導者になることを、大いに後ろ押ししてくれた父でした。
そのご 娘は幼い頃より、何よりエレクトーン演奏に作曲に全身全霊打ち込んだ少女でした。まだ未成年の中学時代より、ヤマハの宣伝のための演奏して、充分なアルバイト料を
頂戴して、成人と同時に自立しておりました。当時40才頃の私は銀行につとめ、お茶のお稽古の熱中しながら、時々娘のバンドでシンセサイザー弾く姿を見て、楽しく親子でかたりあいました。
作曲演奏家として長いあいだ音楽一本で、家庭支えておりましたが、数年前より、社会の不況のため、しばし華やかな舞台より遠のいておりましたが、先日5日久方ぶりに、大阪NHKホールで、生き生き2台のシンセサイザー弾く姿見れて、懐かしく嬉しい日でした。
ベトナムの有名な歌手来日され、日越友好コンサートのバックバンドのお仕事でした。
息子のMauriceも高校生になり、ギターを習い舞台に興味一杯 今回は母親の裏方の手伝いさせていただきおおいに勉強できて、親子楽しい春の宵でした。
私は京都での結婚式披露宴を一番に飛び出し、おおさかへ、最後ののアンコールに間に合いいそがしい一日でしたが、満足させてもらいました。音楽は人と人の心をつなぐ芸術ですね。

NHKホールにて

ベトナム歌手ミータムと押尾コータロー

2015年4月10日金曜日

華やかな春の一日

桜満開の4月5日、京都ホテルオークラでの結婚披露宴に招かれ、天候気にしながら いそいそでかけました。3年間遥か大津より私の教室かよってくださったk様の晴れの日でございます。同じ会社に同期で入社なさり今まで愛をはぐくまれ今日のよき日を迎えられたお二人、に招かれ、私も久し振りに華やかな空気につつまれました。
女性側の主賓席で祝辞の依頼も頂戴いたしまして、懸命に清書させていただきました貴重な時間は人生の内、それほど沢山あるものではありません。私に忠実にかつ熱心ににお稽古していただいた日々が、これから先の結婚生活に、少しでも生かされること祈りつつ裕子様の幸せをお祈りできました一時でした。

古式 豊かにしろもくすがたで、迎えられ、お色直しは深紅の打ち掛け、また最後には
クリームがかった白のウエジングドレスとタキシード本当に素敵で格式ある披露宴でございました。今までお育てになられた御両親様の複雑な心境おさっしいたします。

オランダへの旅行終えられ、又おちつかれたおり、閑静な地の新居にお訪ね出来ますでしょうか。お幸せに。