2017年8月22日火曜日

知覧の続きです。



内部は撮影禁止でした。

会館入り口の石碑

2017年8月21日月曜日

翌日知覧へ

2日間の行事終わり、淡交会の皆々様おかえりになられましtたが私は、鹿児島初めてでしたので、ヘリーで海をわたり
鹿児島中央口からバスで南に下り、2時間なんと山奥、こんなに、山へ山へと、この向こうに何があるのかと不安に思いながらのバス旅、チェコからの観光客ものっておられましたが、私以上に不安だったことでしょう。しかし山が下りに入りますと、そこには、整然とした田舎の町がありました。
下車してすぐに、知覧町マップ片手に、江戸時代半ばに作られた、知覧武家屋敷が、整然と並んでいて国の名勝に指定されていました。母が岳を借景に美しいん街並みです。
 悠久の時を超えて、7件のお屋敷が公開されていました。
まるで薩摩の小京都です。ジリジリ照りつける太陽には
変わりないですが、江戸時代にタイムスリップしたような氣分でした。
居間の縁側から庭園をながめますのは、まさに、京都です。
 そんななかで、ちょっと休憩カキ氷たべました。
         
次にタクシーで、『特攻隊の平和会館』へ。10 代後半から20歳前後の優秀な若き青年の遺書と写真また、使用された飛行機、一人乗りの特攻機の焼けただれた、機体など、また最期に親族に残された、手紙なぞなぞ1300人以上の遺書拝見いたし、なんとゆう残酷な戦争であったのか?私は当時昭和20年には5歳でした。 
大阪で毎日づきんをかぶり、家の周りをうろうろしていた気憶ございます。
沖縄につづき南九州は、またこの知覧は陸軍の特攻基地だったのですね。
生々しいスライドも見せていただき、この思い出を、戦争を知らない世代に語り継がれなければならないと、硬くおもいました。
道路をはさんで、1300人以上の追悼の灯篭がならんでいました。
たった一人での短い旅でしたが、訪ねてよかったと深く
英霊に頭をたれ、鹿児島中央口に戻り夕方の飛行機で、大阪にもどりました。
後ろは桜島



武家屋敷歩いて

屋敷は男玄関と女玄関に、一軒の家は2棟作りです。

鹿児島鹿屋平和祈念献茶式に参列させてもらい

お盆の送り火も終わり、私は、鹿児島鹿屋で大宗匠さまが
72年前の終戦前、鹿屋また知覧から飛び立ち一命をお国の為に捧げたれた戦友たちに御茶を捧げられました。
場所は旧鹿屋航空基地特攻隊戦没者慰霊塔の前で、大宗匠様も当時の制服身にまとわれ、海兵隊お迎えの演奏のあと、
厳粛に点茶番にて、濃茶、お薄茶二碗ささげられました。
点高く青空の中、赤とんぼが大宗匠様の周りに飛び交い
いかにも戦友たちがこの献茶式をみまもってくださっているような、景色でした。鹿屋市の教育委員会またロータリークラブ、そして 淡交会九州地区の役員の皆々様の御協賛の元、
94歳のご高齢にも関わらず、お元気でお献茶なさっているお姿目のあたりに参列させていただきましたことは、生涯の思い出となりました。
 また前日18日には、鹿屋市教育委員会主催の平和 への花束2017年で、これからを生きる学生たちによる、メッセージをこの地の祖父母様から語り継がれていること良くわかり
感激いたしました。遠く離れた関西では、今どうでしょうか?
そのあと大宗匠さまが、自ら特攻隊におられた期間のお気持ちを大変詳しく、涙なしには、聞けないぐらい当時を語ってくださり延々役2時間弱、お水も口になさらず立位のまま
会場の私たちにかたりつがれました。
そして、『平和 への思い』厚く語られたおことばは、教室に持ち帰り、社中の皆々様にお話させてもらうのが私の役目とかんじました。
 夜には、大宗匠様との集いの会がもよおされました。
その席では、奄美大島や沖縄また鹿児島の 淡交会の会員の皆様と新しくお友達になれました。
 離れていても淡交会の皆様は、心は一つで、すぐに安心してお友達になれます。
 この度は遠方から少ないようでしたが、鹿児島の田原幹事長さんに大変お世話になり、参加させてもらえたこと、おん
礼もうしあげます。
 平和の為にはまずみじかな周りの人々とまず仲良く。そしてすこしずつ平和の輪をつなげていきたいと改めて、感じました。




2017年8月8日火曜日




坂田朋美さんの結婚式に参列

 さる6日難波のモントレーホテルにて、社中、坂田さんの結婚式に参列させてもらいました。
 この世の中に一人相性のいいお相手地球の中にきっと
いる、と言う言葉どうり、昨年8月に弓場さんに球婚され、なんと、1年ぶりの早いお式、お互いのお仕事休みを、人生の中でも、最も厳粛で、おしゃれな基督教のお式と、親族と職場の皆様にお披露目なさいました。思えば、朋美さんとの出会いは、4年前の桜満開の嵯峨御流華道祭のころでした。
 短大卒業以来私立の幼稚園の保育士なさり、お仕事も順調に昇格なさった頃、私の教室を尋ねてくださいました。
 ふくよかなお姿と明るい優しい朋美さん、久方ぶりに我が教室の平均年齢下げてくださいました。
 毎日、園児たちとの生活、随分お疲れの日も、きちんと
お稽古続けられ、いままでには、珍しい年数4年で、見事に
師範取得となりました、この春2月に授与式させてもらいました。これはバックのブログにあげさせてもらいました。
 隣の病院の生け込みも、良く手伝ってくださり、また教室には、ひな祭りや、七夕さんには、手慣れた、折り紙作品
飾ってくださり、子供達も大いに喜ばせてもらいました。
 私がパソコンやスマ ホで、困った時も、優しく手助けくださりありがとうございました。
 祝辞を読ませていただきながら、一抹の寂しさを感じ
また。これから始まるお二人の生活に幸せ多く安泰であって欲しいと祈るおもいでした。
 オーソドックスな教会の中で、バイオリンの美しい音色
に合わせ、父上様と入場なさった朋美さま、
またお色直しで、長い間おそばで、お育てになられた母上様と手をとりあっての、親子のなんとも言えない嬉しさと
一抹の寂しさ交錯するタイムでした。