2012年1月29日日曜日

某企業の茶道部 結成

去る21日より 平野に有る某企業の社長さんより昨年から話がありました。従業員全員の質を高めたく茶道を通じて、きめ細かな礼儀作法を教えてほしいとの依頼です。皆様キチンとなさっていますので、私に勤まるか?と躊躇いたしましたが、利休さんの教えの中には、それらをすべて含まれていること、確信もってお引き受けして第1回はじめました。6人一度に一人で担当する事にも、不安でしたが、皆様の 真剣なお姿に、私も茶道を長く歩ませていただいた事に感謝して、がんばります。回を重ねるたびに時には助手の宗純さんもご一緒していただこうと考えながら、うれしい疲れを感じた日でした。

寒中お見舞いもうしあげます。

大寒に入り毎日雪の情報ききながら、大阪は寒くても暮らしにこまるほどでなく、天災事変も、あまりなく、雪国に転勤している社中さんを想いさぞ、幼い子供も暫く戸外で遊ばせられないなあ、と空をみあげています。忙しい一月の行事もすべておえ、ホッとしていますと、親族のインフルエンザにつづき、わたくしはタマネギきっていて、左手中指きり、自分で処置しようとしていますと、血が吹き出て、飛んでとなりにある病院へ。すぐ麻酔4カ所して2針縫いました。お稽古の人がくる時間気にしながら、なんと怖い一瞬でした。精神的に気はくなくなり翌日はまれに休養いたしました。そしてよる又診察に行きますと、別の若い医者曰く 『もう引っ付いているので、今夜から、入浴して傷を洗いなさい。』なんと又びっくりして、胸ドキドキ 今の外科療法 昔と変わってまいりましたね。神様が与えてくれたしばしの休養ほっとたのしんでいます。気になるお友達に電話したり、年賀状の当選を見たり年末からほってあった書類もかたづけられました。

2012年1月16日月曜日

初釜終えて



24年度の初釜は某会社のクラブを嵐山で7日に、又自宅は14日と15日に行いました。
毎年年始の挨拶に何か一つ今年の私の目標をかかげさせていただきます。
昨年の様々な克服を想い『絆』としました。
人の世に生を得て72年になろうとしますが、どんな世代にも人との関わりほど大切な物はないと身をもって感じさせられます。

嵐山は年一度初釜のみに伺いますが、手慣れた部員の皆々様と雪のちらつく茶室で、松風の音を楽しみ茶庭で鳴く鳥の声筧の水の音、釜から昇る湯気、その中で今年も濃茶を点させていただく、幸せ今年も元気で指導させていただけますように。                            













自宅なごみ庵は今年は大きくなってきた、チビッ子も大人と共に席入りいたしました。狭い茶室ですが、初炭手前でお香若松をつがれる頃は清々し香りに包まれ、社中一同新年を感じていただけたことでしょう。点前は助手の中川宗純でした。次に恒例のごとく金銀の島台で坐忘斎宗室お好みの『松華の昔』を私が練り上げお待ちかねの社中一同に、うれしいひとときです。少しためらいながら、大きな茶碗を口に持っていくちびっ子少しにがかったかなあ?でもおいしい花びら餅が助けてくれましたね。今年の懐石弁当は3段重ねの料理 美濃吉でした。お薄席はちびっ子リーダーのMaurice君の手前でしたが途中かわいい小学生によるお運びとなりました。最後に恒例の百人一首でおおいに盛り上がり、一番小さい美那ちゃん沢山とれてよかったね。

2012年1月5日木曜日

ちびっ子 OB来る


お正月三が日家族と例年のように終えて、4日 5年程前にお稽古に来ていてその後 東京へ、転宅しました孫の友達、今は見違えるように、成長した姿で、大阪の孫の家を訪ねてくれました。その頃私の教室の25周年あり、袴姿でお運びしてくれました。東京に行ってからお勉強ばかりで、お抹茶飲む事なかったと当時を思い出しつつ、Mauriceの点てましたお茶、ゆっくりと飲み干し『おいしかった』と良い笑顔 今度は私に一服立ててくれました。何とも一椀が絆となってつなげてくれたようにうれしい 一時でした。真太郎君お勉強の合間にお母さんと又里帰りなさった時お教室におこしくださいませ。

2012年1月4日水曜日

新年を迎えて

ブログをお読みくださっている皆々様、穏やかな新春があけまして、昨年の様な日本列島を揺るがせた天災事変、今年はどうか東日本の速やかな、復興を願い祈るような年明けでした。
皆々様のご健康とご安泰を祈り、私も新しい24年を、忍耐強く、与えられた、人生をあゆんでまいりたいと思います。
6度目の辰年、当たり年をむかえました。
茶華道の伝統ある文化を次世代の方々に正しく伝えられる様、日々研鑽してまいります。           
本年もどうぞよろしくお願いいたします。  笠原宗律