2011年4月23日土曜日

悲しみを親族と共に


私の30周年には、元気でお祝いの茶会に、高知のいとこを案内してきてくださった、義妹の幸子さん 去る4月18日63歳で最愛の夫にみとられあの世に旅立ちました。私事でブログには?と考えましたが、再入院以来の3ヶ月事実の病名知らされないままの心配は辛くて長かったです。しかし故人の遺言で親しい親戚にも知らせず、ぐっと我慢して忍耐の日々をおくっていた、家族3人には、どれほどのストレス背負って看病していた事か?しかしいまは亡き笠原家の大切なお嫁さん 自分の限られた命を知りしっかりと夫(私の弟)や息子 娘に、細かい指図で、残された家族と別れを惜しみましたそうです。人はこの世に生を受けて人生の間に3回人々に見ていただくと申しますが、私たち親族にも大変気配りしてくれ、みんなから慕われておられました。
世間の人々にも良きおつきあいなしていたのか、お通夜、葬儀には、未だ私が参列させてもらった中では一番多くの美しいお花で飾られ、おおくの会葬者の皆さんに送られ、天国に召されました。幸ちゃん11月のはじめのお茶会緊張させてしまいごめんなさい。貴方の事だから お茶室での体験を喜んでくださり、(姉ちゃんこれからも、ずっと長くがんばってね、)と優しく天国から励ましていただいていると思い、生駒一家と今まで以上に交流して、生きてまいります。最後に折り鶴と手紙読んでくださった事何よりうれしいです。これからは苦しかった
咳からも放たれ、天国からにっこりと笑って笠原家はじめ親族一同を故父母とともに、見守ってください。

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