2011年3月15日火曜日

東日本大地震


早春の午後、私は確定申告も済ませ少しほっとして、ひな祭りに写した写真の印刷をするのにプリンターに向かっていました。大阪市内12階のマンション、めまいかと思えばプリンターが横に揺れて、地震に気づき親子3人すぐに娘が出してくれたヘルメットかぶり机の下に。それ以来4日、日夜休まず報道される大きな余震、次々の津波、原子炉の爆発、安否不明の方々、避難所で毎日孤立した場所での生活、お見舞いの言葉も見つからない心境です。関東に住む友達、又OBの一人一人の事心配しながらの毎日、関西は今何にもなくても、じわじわ影響くるの覚悟しながら 避難具や避難場所確認しています。御稽古の時間のお見えにならないと、もしや東の方へ旅行でもしてたのではないのか?と心落ち着かない毎日です。どうかまだ生存者が見つかりますよう、お祈りいたします。

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