2018年4月12日木曜日

恩師を見送りて

さる4月8日 私が小学1-2年生のクラス担任の恩師
93歳でお亡くなりになり、娘さんより、お知らせくださり
その当時の学友と、お見送りできました。
 池田先生とは、私の人生で最も長い70年間のおつきあいでした。あの第2次世界大戦で敗戦の翌年に私達は、新制
小学校に入学いたしました。男子先生方は、戦争でほとんど
おられない中、旧姓佐埜先生は溌剌と私達の教育に愛情と熱意を込めて、育ててくださいました。
 未だに大切に残していますアルバムには、学芸会、運動会
また参観日の様子や、野外でのお絵かき学習など、数え切れないくらいの思い出一杯です。終戦の時6歳の私たちには、
戦争の苦労など、かすかなものでしたでしょうが、青春時代の先生には、お仕事の上にも、並大抵なご苦労であられたでしょうが、いつもニコニコ生徒に心血注いでくださり、教育くださったのだと、心から感謝いたします。
 松原市の天美小学校から 加美中学校に転任なさり、その後
定年まで、ご主人見送られた後、3人のお子様を育て上げられました。定年後は成長の家でも、随分ご活躍なさっておられました。
 私は先生とは、時折お会いできる機会多く、家族ぐるみで
お付き合いさせていただきましたことは、私の人生に大いに
先生が、常にみまもってくださったように、かんじます。
 家族 葬とお伺いして参りましたが、なんと70名以上の親族の参列でございました。
 そこで、先生が長きに渡り多くの親戚の皆々様との、
お付き合いよろしかった事、また式場にて、てを合わせ
誠の教育者であられた事さらによくわかりました。
 小学1年生に、優しくまた時には厳しくそだててくださったおかげさまで、私の人生もまっすぐに、歩んでこられました事深く感謝いたし、 柩の中の先生とお別れいたしました。
 年賀状を頂くたびに、毎年 力強く 『感謝』のおことば頂戴いたしました。もう来年からはもらえないと思うと、
急に寂しさかんじました。
 しかし私は先生の歳まで、頑張りたいと?
皆様とご一緒に斎場まで、お見送りさせてもらった後
娘さん達やご親族の皆様と、先生の思い出話させてもらい
この席に参列させてもらった事ありがたく御礼もうしあげます。
 娘さん達が落ち着かれましたら、是非なごみ庵にて、しのぶ会させてもらいたいです。


先生の娘さん孫ひ孫さん
最後の喪主さんの挨拶
池田家の皆様


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